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分岐点。正解よりも納得解を。

ビジネス論

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春雨です。
正解ってなんだろう?
迷ったときの道しるべになりますように
長くなりますがお付き合いください。

江ノ電の写真ブログを望遠レンズで
[ Located in : 江ノ島電鉄沿線 2016年12月 ]
[ Camera : PENTAX K-5ii ]
[ Lens : PENTAX smc PENTAX-DA 55-300mmF4-5.8ED ]

正解が見つからない

何が正解が分からない。こんな気持ちになることが増えてきました。そんな今日この頃です。そもそも正解ってなんだろう?何を正解として生きてきたんだろう?この気持ちを深追いしてみました。

正解という言葉を使うようになったのはいつからでしょうか。それは教科書を手に取った時からだと思います。教科書に載っている問題って必ず模範解答が載ってますよね。自分が導いた答えと用意された答えが一致したときに「正解だ!」ってこのような感覚を味わいます。たぶんこれが、最初に出会った正解という言葉の概念です。

ここで、冒頭の何が正解か分からないに立ち返ってみると、そもそも教科書に載っている問題じゃないので、用意された答えなんて存在しないんですよね。正解=用意された答えと自分の答えが一致すること、という概念では永遠に正解にたどり着けません。

気づいてみると当たり前ですよね。正解っていうのは用意されていた答えに一致したときに、それが正解ですよって言われていただけのことなんです。知識の定着のためにはある程度仕方がないことなのかもしれませんが、教育方法の恐ろしい一面だと感じています。

ここでもう1つ気がついたことは、何か問題が起きたときに、自動的に正解を求め続ける思考回路になっていることです。答えは用意されていないので、その問題に対して答えは存在しないかもしれないのです。もしくは答えは無限にあるかもしれないのです。

→正解とは用意された答えと導いた答えが一致すること
→教科書には用意された絶対的な正解が存在した
→模範解答が存在し、答えがない問題は存在しなかった
→正解は1つだけの存在で一意に決まるもの


正解よりも大切なこと

ニュースや人間関係を通じて世の中を眺めていると、常識という言葉があったり、倫理的に尊重されることが正論とされる風潮があったりします。また、金銭的にはこっちがお得です、という議論があったり、健康を考えるならばあちらです、といった流行があったりします。ようするに何かを基準にしたらあっちよりもこっちという風に、何を判断基準にするかで優劣や正しいのか正しくないのかという考え方が変わってくるのです。

こうなると正解は一意に決まりません。基準が違えば誰が考えても唯一のものにはなりません。むしろ、何か問題に直面したときに用意すべきは、問題にとって最適な答えは何?、という考え方や、納得できる答えは何?、という考え方ではないでしょうか。人間関係、倫理、お金など様々な角度から検討した上での答えはもちろん1つに限らず無限に出てくるでしょう。

どうして正解ではなくて最適解とか納得解とかそいうった言葉のほうがしっくりくるのでしょうか?それは、正解という言葉には一意に決まるもの、もしくは絶対的なものといった解釈が含まれているからだと思います。

→正解は存在しない
→正解と言いながら最適解や納得解が語られている
→何を基準とするのかで答えは無限に存在する


正解よりも納得解と最適解

自分にとっての納得解や最適解としての正解は、他人にとっての正解になっているかどうかは分からないということになります。自分にとって納得解は他人にとっての不正解である可能性もあります。ということは、用意すべきは他人にとって説得力のある不正解であったり、自分にとって納得できる正解だったりするわけです。ここで初めて論理的に他人に説明できる必要が出てくるわけですね。

答えが見つからないと迷ったときは、正解を探す思考回路におちいっていないかどうか、よく考えてみるといいと思います。正解よりも納得解、他人にとって説得力のある不正解を導くようにすると、その問題に対する選択肢の幅がひろがるかもしれません。

→自分にとっての正解は他人にとっての不正解
→正解よりも納得解を
→他人にとって説得力のある不正解を