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「記事が書けない」ってググってごらん?

「記事がかけない」
って天下のgoogle先生で検索すると、1ページ目も2ページ目もブログで”アフィリエイト”するときの記事が書けないよってことに対する”見せかけの”アンサーサイトがずらりと表示されます。そんな話とその感想です。

江ノ電のブログ

記事が書けない

春雨です。この検索結果を見たときに、ギョッとしました。だって、その検索上位のサイトの多くはマネタイズしているんだろうなーって、予想できる作りになっていているのです。みんなアクセスアップを積極的に狙っているんだろうなーってあらためて感じました。カモは、記事が書けない難民に間違いない←おぃ。

記事が書けない

でもさ、誰も「記事=ブログ」だなんて言ってないのに。新聞の記事かもしれないし、雑誌の記事かもしれないし。と屁理屈をこねてみます。なんだろうこの違和感は。

で、ここでじゃぁ英語でgoogleったらどうなんだろう?って思って、「article writing」で検索をしてみましたよ。そうしたらね、英語圏でも、マネタイズ狙ってるんだろうなーっていう検索結果が出てきましたよ。すげーなこれ。世界中でこういうことが起きているんだって、屁理屈言ってる場合じゃないんだねって思いました。あ、僕そんなに英語読めないから雰囲気ベースです。



違和感の原因はどこに?

検索エンジンを上手に使いこなすっていうのは、結構前から?インターネットを始めた人にとっては、当たり前のテクニックです。ですよね?欲しい情報にたどり着くために、検索ワードを工夫するのは当たり前でした。

でもさ、やっぱりなんか変だよねって思いました。この違和感はなんなんだろう。

インターネット回線がISDNからADSLに変わって速いなーってなって、光回線がきて、なんだこりゃって、yahooよりもgoogleじゃない?ってなって、そういう時代を見てきた僕の感覚としては、「検索エンジン=とにかく未知で無限なネットの海から、検索ワードという網ですくえるサイトを無作為に拾ってきてくれる存在」だったんですよね。だから網の形は、欲しい情報がヒットするように適宜変えていくことが求められたんです。


無作為に拾ってきてくれるはずだったのに


でも今は、検索エンジンが賢くなったから、網の形は貧弱でも欲しい情報が手に入るようになっていると見せかけて、検索エンジンで上位に表示されるように、網にすくわれやすいサイトが、大量にヒットしてしまう。無作為にひろっきてくれるはずだったのに、ひろわれたい人の気持ちが入ることで、ひろわれ方が作為的になってしまっている。


言い換えれば、検索結果がナチュラルなものではなくなって、お金と技術で作られた作為的なものになっている。そしてその作為的なものを、我々世代はナチュラルと感じてしまう。検索結果にも時代の流れは繁栄されているということに気がつけなかったのです。やっぱりインターネットは時流にのった最新の情報媒体なんですね。
あー、こういうことが言いたかったです。自分の違和感の原因が書いていてはっきりしました。なんだ、時代に呑み込まれていたのですね。



被検索情報が平等に並んでいることの素晴らしさ

辞典のいいところは、すべての検索結果が平等に並んでいるところです。もちろん五十音順とかアルファベット順とかの検索のための掲載順序はあるけれどね。すべての情報が不平等にこびていないことだと思います。

wikiペディアまではインターネット辞典という認識だったけれど、ぐぐペディアは作為的な部分もあるから辞典ではない。これを辞典だと思ったら、教育というよりも洗脳と言っても過言ではないと思います。そもそも辞典と違って、これだけの情報がある中で今これを選んでいます、っていう全体を見つめる視点というものが存在しないですよね。

そうかー、こういうことだったのか。ということでやけに納得してしまいました。大事なのはこれを今後にどうやって生かしていくのかだね。「グーグル検索の正しい使い方」なんて本を出したら売れるんじゃない?





---この記事の完成度は100%です---

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