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見た目は子供、中身は大人、そんな文章。

雑記

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書くことをまじめに、そして真摯に考察してみます。ブログの記事が20個書けた人で1つの記事について1000文字くらい書けてきた人で、かつ文章が子供っぽいと感じる人が考えた「書く」という行為にいたるまでの脳内の思考のお話です。

江ノ電の写真ブログ
[ Located in : 江ノ島電鉄沿線 2016年12月 ]
[ Camera : PENTAX K-5ii ]
[ Lens : PENTAX smc PENTAX-DA 55-300mmF4-5.8ED ]

文章が子供っぽい人達

僕の口をついて出る言葉をダイレクトに文字に起こすと、これがどうしたことか、とっても子供っぽく感じます。この言い回し、とても子供っぽいです。子供っぽいというのは、文章の体裁のことで、少なくとも内容は影響していないと仮定します。子供っぽい内容を大人口調で語る文章もあれば、大人っぽい内容を子供口調で語る文章もあります。

「書く」という行為は、基本的には手で行われます。鉛筆を持つか、キーボードをたたくか、もしくは、何かを打刻するのか、そのパターンは時代や局面でことなりますが、基本的には両手で行う作業になります。でも、別に手が動くように、言葉が出てくるわけではありません。何か考えがあって、その考えを、文字に起こしています。

「書く」という行為の前に「考える」という行為が行われます。失礼しました。「考える」は行為ではなくて思考です。thinkです。この「考える」という思考が、子供っぽく感じる原因のを生み出しているとしましょう。ここで気がつきました。考えた結果を脳内で静かに話すことで言葉に変換して、それを書いている。ということは、「考える」→「静かに話す」→「書く」と、この順番で書くまでの行為が行われていますね。



見た目は子供、中身は大人

どこの小学生探偵ですか。あのアニメを見直したら、文章の秘訣が分かるかもしれません。見ましょう。さて、話し言葉が子供っぽい、ということと、考えていることが子供っぽいは、決してイコールではないですよね。そう思いたいです。子供っぽく感じてしまう原因は、書かれている内容には依存していないはずです。なんでだろう。

そうです。この「なんだろう」。このなんだろうっていう、ふとした感想が、とても幼稚な印象を読後に与えている気がします。「気がします」。この気がしますっていう自信がなくて頼りない感じも不安定な印象を持っています。「っていう」。この〇〇という、〇〇ってことですよね、といった、このといった、も同じくですが、こういう表現が、幼稚っぽさを感じさせています。

「〇〇ってのはまさに△△ってことですよね」この表現が、幼稚さの対象だとしましょう。これを幼稚っぽく感じさせなくするためには、「〇〇と△△は同じことを表しています」を言いたいから「〇〇はまるで△△のようです」と表現すればいいです。



自分の文章にツッコミを入れる

こうやって少しずつ、自分の思考のパターンを見破っていって、大人ちっくな表現に変えていくことができるといいです。「ですね」という表現は、誰かに同意を求めていますね。これは、性格の問題でしょう。「でしょう」という表現も、誰かに同意を求めています。

文章を書いたあとで推敲するように読み返してみると、その時の性格や精神状態まで反映されます。「ます」というように言い切りの形にすることに、怖さを感じます。「感じます」は言い切りにしても感じるだけなので怖くありません。「〇〇は△△だ」という言い切り表現を使うことに、怖さを感じています。

自信がないがゆえに、子供っぽい表現になってしまうのでしょうか。そんな気がしてきました。これからは「文章が子供っぽく感じられてしまうとき、それはあなたに自信がないことを表しているのです。」と言い切ってみたいです。言い切ってしまう可能性があります。可能性があります。か。これも言い切りですが、可能性は可能性です。





---この記事の完成度は100%です---

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