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ブログはラジオに似ている

雑記

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ラジオをお聞きの皆さん、おっはようございまーす。ほんわか鉄子です。ここ、平塚ランドマークツアーから見える空には、雲1つありません。晴れ渡っています。今日も気持ちの良い朝ですねー。それにしても、寒くなりました。大雪のニュースも伝わってきておりますが、いよいよ冬本番となりましたね。みなさん体調に気を付けて、週末までもう少し、乗り切っていきましょうー。

平塚須賀の漁港
[ Located in : 平塚の海辺 2017年1月 ]
[ Camera : PENTAX K-5ii ]
[ Lens : PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mmF3.5-5.6AL WR ]


1対1のやりとり

ラジオって気軽に聞けますよね。ラジオの本体を持っているだけで、受信料が必要なんてことはない。聞きたかったらスイッチを入れて、電波をキャッチすれば良い。聞きたくなかったら、ダイヤルを回して放送局を変えればよい。AM、FM合わせると、かなりの数の電波をキャッチできる。ニッポン放送、文化放送、TBSラジオから始まってFM横浜、東京FM、J-Waveなど本当にいろいろと電波に乗っている。全国のラジオをご当地で聞いてみたいよね。

この電波に乗ってるっていう響きが良い。電波に乗ってるんだよ電波に。電子の波。なんとなく、儚(はかな)い感じがするじゃないですか。つながっているようでつながっていない。送信する側も受信する側もそれなりに意識しないと、感度良好とはならない。聞くための儀式が必要なところも、また良い。

テレビ番組は、誰が作っているのかが分かりにくい。放送局がそのチャンネルという枠は持っているけれど、その番組そのものは、一体誰が作っているのかが見えてこない。一方で、ラジオは、もちろん誰が作っているのか、その厳密なところは分からないけれど、パーソナリティーの人柄が前面に押し出されて、パーソナリティがその番組を作っているように錯覚して聞こえてくる。声によって、頭の中に、パーソナリティーの人柄が想像される。まさにパーソナリティという言葉そのもの。個性。人柄。そういったものが伝わってくる。

本もそうだよね。漫画も。著者の人柄が見えてくる。なんだろう。本とかラジオとかって、その情報発信媒体による不純物みたいなものが、送信者と受信者の間に介在しないように感じるんだ。余計なものが極限まで省かれて感じる仕組みになっていると思う。

ブログもそうだし、ホームページもそう。個人対個人の接続になり得る。僕はテレビの中の誰かが泣こうが笑おうが、そこまで感情移入できない。でも、ブログやラジオの電話相談などに、登場する人の人生には、かーなーり感情移入できる。なんでだろう。もう少し手を伸ばせば、その人に声をかけられるような、そんな錯覚が起きているからかもしれない。

1対1の感覚がとっても好きなんだ。リクエストができたりだとか、これってブログのコメント感覚に似ていると思うのだけど、電話相談コーナーがあったりだとか、そういう一緒に作り上げてる感を味わえるところ?参加できる感じ?テレビが放送されるようになったときに、ラジオって廃れてしまう?って考えた人も絶対にいたと思うんだ。だってさ、音声よりも音声+動画の方が、どう考えたって、技術としては上位互換だからね。でも、現実には、テレビ放送が始まって50年以上経ったけれど、ラジオは健在。

良いですよねーラジオ。そして、どこにも着地できなくなりました。まぁそんなところです。


---この記事の完成度は100%です---

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