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風の歌を聴け - 02(水色の読書感想文)

風の歌を聴け(水色の読書感想文)

風の歌を聴け

『 風の歌を聴け 』 02
水色の読書感想文シリーズ

そして月日は流れ、僕は28歳。『 風の歌を聴け 』の主人公と同じくらいの年齢となった。僕は大きな会社に勤め、恋人にも恵まれて、結婚の話もちらほらと見え隠れしていた。遠目には幸せな状態に見えたのかもしれない。

しかし、僕の心の中はそんな「 幸せな状態 」から、程遠いものだった。どれくらい遠かったのかと聞かれれば、少なくとも『 地球と太陽の距離 』以上に遠かった。

僕は、人生が つ ま ら な か っ た 。

平日は仕事に追われ、休日はデートに追われる。将来を手のひらに透かして見れば、結婚、子育て、住宅ローン、子供の教育費、両親の介護などが色濃く浮かぶ。それらはまったくもって、魅力的なものには感じなかった。

何をしてもつまらなかった。何を食べてもおいしくなかった。今まで楽しいと思っていた趣味が色あせた。どこを旅行しても既視感しか感じられなかった。ただ毎日が繰り返されるだけ。夢もなければ希望もない。

現実が幻想のように感じられた。たくさん持っていた洋服を捨てた。たくさん集めていたCDを捨てた。たくさん集めていたカメラを捨てた。たくさん集めていた思い出も捨てようとしていた。

僕が救済された小説
『 風の歌を聴け 』

そんなとき、残そうか捨てようか迷って手に取った本が、この『 風の歌を聴け 』だった。この本を見つけたとき、学生時代に感じた未来への希望と将来に対するあこがれが、ふっと脳裏に浮かんだ。当時を思い出しながら、ゆっくりとページをめくった。

不思議な体験だった。過去に読了したはずの本の中に、新たな世界が広がっていた。

僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横たわっている。

『 風の歌を聴け 』

というわけで、一見するとなんの変哲もないこの1文に、僕は完全にやられた。僕の人生に対する解釈は、この文に出会ったことで大きく揺れ動いた。

何をしてもつまらない、何をしても感じない。そんな僕の脳内に、この1文はまるで魔法のフレーズのように再生され、繰り返された。

今の僕なりに解釈をつけるなら「 現実というものは認識しだいで、楽しくも悲しくもいかようにもとらえることができる。だけどその現実に、認識が完全に近づくということはあり得ない。同時に、自分の認識が他人の認識と一致することもあり得ない。」といったところだろう。

僕は他人の人生を生きていた。

周りの大人が「 理想の中 」で認識した世界、となりの恋人が「 こうあって欲しい 」と願う世界、常識によって「こうあるべき」と語られる世界。

それらはすべて、僕が「 こう在りたい 」と感じる認識とは違うものだった。そして、その認識と僕の周りの住人たちが描く現実が、一致している必要なんてまるでなかったし、一致することはありえなかったのだ。

このようにして、この1文が僕の人生観をまるっきり別のものに変化させ、僕は自らの現実に引き戻された。

『 風の歌を聴け 』の序章には他にも、僕をうごめかした言葉が多く記されている。この物語の序章は、そいうった類(たぐい)の言葉で埋め尽くされている。

文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。

『 風の歌を聴け 』

この小説は、いくつかの視点で現実を俯瞰(ふかん)したかのような構成で成り立っている。序章で抽象的な言葉によって表したこの世界の理(ことわり)を、それ以降の章で具体的な事象によって表現することで、その理をより分かりやすく伝えてくれる。

どのように現実を認識するのか、解釈するのかによって、世界の見え方は全く異なるものになる。世界は美しいものであふれている。世界は醜(みにく)いものであふれている。

最後にもう1節だけ、好きな文章を紹介して、この記事の終わりとする。(完)

弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。つけ加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

『 風の歌を聴け 』

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・読もう!ひつじ三部作・

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