のるまで るこう

み み

暑い夏の季節がやってきますな今日この頃

子供が習い事をやめたい時のママの気持ちが聞こえてきた


いやー、奥が深いです。

「うちの子がピアノをやめたいって言ってるのよ」午前中、朝の10時過ぎでしょうか。お母さん達3人組の井戸端会議が盛り上がっていました。のどかな公園の木陰で。

こそっと聞くつもりもなかったんですが、イヤホンしていても聞こえるくらいの音量でおしゃべりなさっていたので、公開生放送状態であったことをお伝えしておきます。

子供の習い事
[ Title : 写真を習いたいものだ 2016年12月 ]
[ Camera : Nikon D700 ]
[ Lens : Nikon AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G ]

「いくら辞めたいといっても、あたしが今までかけた送り迎えの労力とか、続けさせるための努力とか、月謝に使ったお金とか、そういうこと考えちゃうのよねー」

ぉいー。ママぁー。そんな直球すぎるボールを僕に投げないでください。続きが気になって動けなくなるじゃないですか。

大人の気持ち

お金

習い事ってお金がかかるんですよね。毎月のお月謝という形で。ピアノにしろ、バレーにしろ、水泳にしろ。そのお母さま達のお子さんはきっと娘さんだと思いました。想像するに。

毎月のお金以外に、ピアノだったら家にキーボードが必要だし、バレーだったらシューズとか?それなりの装備が必要だし、何か1つを続けていくだけでも、月謝以外にもお金がかかっています。

具体的にいくらくらい?「〇〇に3年通わせたから50万円くらいはかかってるのよ」ですって。

これってようするに、投資だと思っていたものが、思わぬ形で不良債権になってしまって、回収できなかったと、そういう考え方なんですかね?お母さま。

「子供の習い事=お金がかかる=投資?」うーむ。どういう考え方なんでしょうか。

続けること

習い事である以上、習うわけでありますから、上達したり、成果を感じるまでにはある程度の時間がかかることになります。習字とか、野球とか、なんでもそうだけれど1日じゃ上手くならないよね。

んで、大人になると、「ローマは1日にして成らず」ということを知識として知っていて、上達するためにはある程度の継続が必要であることを、経験と感覚的に理解しています。

しかし、子供にはそれが分からないらしい。ようするに、「続けることによって上達すること」の成功体験を習い事から学んでほしいらしい。

そりゃーそうだ。

であるがゆえに、どの辺まで「無理させて続けさせて良いのか」が分からないと、そういう話で盛り上がっていました。

「楽しくない」と「行きたくない」と駄々をこねる子供。子供であるがゆえに(いや大人であっても)、どうしてつまらないのか、なかなか上手くならないから行きたくないのか、はたまた仲間とのお付き合いが上手くいかないから行きたくないのか、そのあたりがはっきりしないらしいです。

うむ。

続けることを知らないで、努力しない子供に育ってほしくない。」だけど「続けることが嫌になって、習い事そのものが嫌いにならないでほしい。」

あー、とても難しい会議が繰り広げられています。どうすればいいのだろう。

子供の習い事
[ Title : 写真を習いたいものだ 2016年12月 ]
[ Camera : Nikon D700 ]
[ Lens : Nikon AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G ]

先生を換えてみる

習い事そのものは好きなんだけれど、その環境が合わない、という場合があるそうです。こういう時は、同じ習い事にしてもAという教室からBという教室に換えるんですって。

「うちの子は野球のチームを別のチームにかえてもらったら、今は楽しそうにしているわよ」そういう考え方もあります。

子供の気持ち

大人になれない大人として、僕が子供の気持ちを代弁します。

つまんない

確かに「続けることで分かること」はたくさんあると思いますが、それでもつまらないものはつまらないです。合わないものは合わないと、です。

だけど、その合わないだとかつまらないだとかの気持ちをしっかりと見つめることができないです。子供は大人が思う以上に、自分をしっかりと観察できないです。

他のことに興味が出てしまって、ピアノを習っていたけれど、となりの女の子がバレーを始めたりだとか、テレビで卓球が盛り上がっていて、卓球を習いたいだとか、そういう一時的な目移りがあります。

だから、「他のことが面白そう!」が「今の習い事がつまらない!」になってないのかどうか、確認したいなーと。

子供の習い事
[ Title : 写真を習いたいものだ 2016年12月 ]
[ Camera : Nikon D700 ]
[ Lens : Nikon AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G ]

続けていればよかった

僕が大人になって、続けていればよかったと思う習い事は2つ、習字とピアノです。上手な字を書きたいし、気分転換で音楽と触れ合いたい。

習字は、なんでもない1文字を書く事に集中することで、気持ちを落ち着ける習慣が養われるという、字が上手くなる以外の得られるものがありました。今思えば。

ピアノは、子供の頃は「楽器を弾けることの偉大さ」が分からなかったけれど、歳を重ねれば「人間たるもの常に人生のアーティストであるべき」なんて、そんなことを語りたくなります。今思えば。

でも、どんなきっかけや体験で、「あー、続けていればよかったな」って思う瞬間がくるのかなんて分からないんですよね。

見方を変えれば、「もう一度習いたいな」と感じた瞬間に、またやり始めればいいと思うので、別のことがやりたいと感じた時が、別の習い事にチェンジするタイミングではないでしょうか。

子供に自分を重ねてしまう大人

お母さま達は続けます。「いまでこそ、あれもこれもやっていれば良かったと思うからこそ、子供にはいろいろと経験させたい

中学高校に入れば、部活というものがあります。もちろん大学でもサークル活動というものがあります。

「大きくなったら受験が始まったり、部活が忙しくなったりするから、今のうちに習い事をやらせたい」らしい。ん?そういう考え方は、したことがなかったです。

習い事でやってたサッカーをそのまま中学高校と部活にしてしまう人もいますし、全く新しいことに興味を持って部活動に励む人もいます。

ここで見えてきたのは、習い事って、「部活動やサークル活動の前段階に位置するもの?」という視点でした。

義務教育以外の環境で、何かを求める場所。それが習い事?

聞いていて感じたこと

僕はスクワットしていました。もう足がパンパンになってスクワットができなくなって、アキレス腱を伸ばしたり、ストレッチを開始しました。それでも会話は終わりません

もう僕の全身は、これ以上ないくらいに疲労しています。もう無理。それでも同じ話題で盛り上がりを続けます。

それくらいに、答えが出ない話題なんだと思います。

子供の習い事
[ Title : 写真を習いたいものだ 2016年12月 ]
[ Camera : Nikon D700 ]
[ Lens : Nikon AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G ]


かけてほしい言葉

もしも自分が子供だったら。

習い事を辞めたいということを両親に打ち明けるだけで、かなり勇気がいることだと思います。子供ながら、そういうプレッシャーは感じていました。

だから。

「辞めたい」と発言の後で

「どうしたいの?」

の前に

そうなんだ

と、その気持ちを認めてほしいかな。

習い事はあくまでも人生のオプションです。親子関係のオプションにもなります。だからこそ、辞めるも辞めないも、そこにある気持ちを自然と共有できるような親子関係にあこがれます。

僕がそういう育ちをしていないから。

なんだけどね。

いやー、僕の闇も深いです。

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