のるまで るこう

み み

暑い夏の季節がやってきますな今日この頃

紅の豚が100倍楽しくなる。秘密とうんちく。

紅の豚

PORCO ROSSO

この映画の中には数回の戦闘シーンが描かれていて、それなりの数の銃弾が撃ち込まれるんだけど、人間には絶対に被弾しない。

ポルコの魔法がとけて人間に戻るのかどうか。ジーナの賭けの結末はどうか。そんなことは、本当にどうでもいいと思う。

絶対に血を見せない。

飛行機は赤い。

この2つに気がつく人にだけ分かる、宮崎駿さんが描こうとしていたお子様には分からない世界が『紅の豚』には存在する。

国際線の機内ショー

疲れて脳細胞が
豆腐になった中年男

もともとは、日本航空の国際線の乗客に向けた娯楽作品として『紅の豚』は企画された。国際線による長時間のフライトで疲れ切ったビジネスマン。

酸素がうすくなって、その判断能力が豆腐のように鈍くなった中年にも楽しめるように。

宮崎駿さんはこのようなメモを残している。「この作品は、疲れて脳細胞が豆腐のようになった中年男のためのマンガ映画」であることを忘れてはならない。

そしてこれが『紅の豚』の表の顔だとしたら。

裏の顔は、まぎれもなく反戦がテーマである。もっと具体的に表すならば、戦争は10000歩譲って、しょうがないけれど、「無作為な人殺しはやめろ」というメッセージだ。

罪のない命を奪うな。

というのも、冒頭でも述べたが『紅の豚』の中では、あれだけ派手にドンパチやりながらも、誰一人として登場人物は死なないし、殺されない。

絶対に人間には弾が当たらないし、大量虐殺的なシーンも描かれていない。ジブリファンにはお馴染みの「人がゴミのようだ」的なシーンは『紅の豚』には存在しない。

これが何を意味するのか。

映画『紅の豚』は1992年に公開された。実は、『紅の豚』が戦争を意識することの背景には、1991年に発生した湾岸戦争がある。

メディアによる情報操作によって、まるで人が死ぬことのない「人命不在」の「ハイテク戦争」のような報道が行われていたようだが、実際には多数の命が失われた。まるで「人がゴミのように」。

らしい。

史実は真実とは異なるから、本当に何が起きたのかは断定できないが、現在ではこのような史実が一般的とされている。

そして、こうした報道の裏側を知った宮崎駿さんは、「10年近く考えてきた現代の東京を舞台にした青春映画があるんだけど、もうやらない」と宣言したらしい。

その理由として「毒ガスの恐怖や我が子の死に直面し、おびえながら暮らす世界の人達には、自分が造ろうとしていた映画はなんの説得力も持たない」と語っている。

だから。

現実世界へのアンチテーゼとして、『紅の豚』の世界では絶対に血が流れない

このような戦争の現実をふまえて、宮崎駿さんがどう感じたのかは想像する以外に知るよしもないが、少なくとも作品として残された『紅の豚』では、登場人物の命は誰一人として奪われていない。

あ!赤い飛行機!

撃て!
撃ちまくれ!

僕は、なんでか分からないけれど『紅の豚』が好きで、それこそ両手で数えられないくらいに繰り返して見ている。何となくだけど名言とされるセリフも覚えている。

と思う。

何回も繰り返して見れば見るほどに、この作品に深く深くハマっていく。そして、よく考えてみるとおかしいシーンがたくさんあることに気がつく。

ブタと空賊がドンパチやってる。子供も乗っている空賊の飛行艇に向かって機関銃を打ちまくる

だけど弾が、人間には当たらない

きやがれブタ野郎!
最後の勝負だ!

なんて叫んでいるけれど、ちゃんと弾づまりを起こして、そこからグロテスクなシーンに展開しないようになってる。一歩間違えば流血の映画になってしまう。

もちろんこれは、最後のカーチスとの戦いにおけるフラグにもなっていることに、3回くらい見たときに気がついた。

他にも。

エンジンオーバーホールのためにミラノに飛ぶときに、カーチスに撃ち落とされるシーンでも、ブタの真上にあるエンジンはめちゃくちゃに被弾するのに、ブタには1発も弾が当たらない

おかしいでしょ。

この映画では、人間は絶対に被弾しない。

その秘密が、冒頭に書いたように湾岸戦争という現実にあった。

戦争ごっこはダメよ

戦争のときは
英雄だったんでしょ?

『戦争のときは英雄だったんでしょ?』これは、フィオのセリフとして、映画の中に登場する疑問。

人生の長旅で疲れ切って、脳みそが豆腐のようになった中年には、暑苦しく重い質問だと思う。

『紅の豚』には、原作となっている漫画『飛行艇時代』がある。宮崎駿さん自身の作品であって、『飛行艇時代』では、「少女」を救出するシーンから作品が描かれている。

しかし、原作の「少女」を救出という設定はさっぱりと放棄され、『紅の豚』では、スイミングスクールの「子供たち」を救出している。これはなぜか。

やはり湾岸戦争である。何も知らない子供たちが、「大人」の事情で殺されていく。

『紅の豚』に描かれる子供たちはとても無邪気である。そして「子供目線」で切り取られる戦闘シーンには、危機感がまるで感じられない。

これが違和感の正体だ。

『撃て!撃ちまくれ!』

『さもないと皆殺しだ』

の横で

『あ!赤い飛行機!』

『心配しないで!私達スイミングクラブの子だから』

という会話が繰り広げられている。何も知らない子供にとっては、機関銃ですらそれが自らの命を奪う可能性を秘めた道具であることが想像できないのだ。

大人の事情を子供たちの未来に持ち込まないでくれ。

これが宮崎駿さんのメッセージなのだろう。

わいせつ物陳列で逮捕状

ファシストになるより
ブタの方がましさ

『戦争のときは英雄だったんでしょ?』

この答えは、社会主義とか資本主義とかの話に少しだけ首を突っ込まないと語れない。

と思う。

そんな僕も、もちろん勉強不足。しかも、この辺の話は嫌いな人も多い。だけどあえて書いてみよう。ちなみに僕は、右でも左でもどっちでもない。と思う。その流れを上手に利用できる知識と知恵が一番大事。

根底にあるのは、「自由」と「平等」っていう考え方だと思う。一般的にはどちらも好印象なキーワードだけど、自由と平等は両立することが非常に難しい。両立は理想状態といえる。

資本主義とは「自由」な経済思想のこと。それに対して社会主義とは「平等」な経済思想のこと。自由である以上、平等にはなり得ないし、平等である以上、自由ではない。

今日(こんにち)の地球経済において、社会主義は理想とされている。というか、社会主義的な考え方で上手くいくのならばそれは本当に理想郷だと思うのだけど、人間たるもの欲が邪魔してしまって、なかなかそう上手くはいかない。

これが現実。

イタリアは、第一次世界大戦では勝利国なんだけど、戦後は社会主義的かつファシズム的な思想を取り入れるような歴史を歩んできた。

行き過ぎた社会主義的な思想が気にくわないポルコにとって、国家とか民族とかに染まって飛びたくはないわけだ。

だから、国家の立場としては、国の政策に背くものとして『戦争のときは英雄だったんでしょ?』なんだけど、今では反国家的な存在なわけだ。

これが答え。

だと思う。

大局的な正義が入れ替わることによって、過去の英雄は未来の反逆者にもなり得る。これが子供には理解できない、大人の世界だ。

正義というものは、いつまでも困ったときのお助けマンではないのだ。正義ほど嫌なものは無い。

紅の豚

ケツの毛まで抜かれて
鼻血もでねぇ

どうしてブタは赤くないのに、『紅の豚』なのか。赤い飛行機。赤。赤は社会主義や共産主義のイメージカラーでもある。イタリアンなかっこいい飛行機やスポーツカーの色っていうわけでもない。

宮崎駿さんは、『紅の豚』について語るときに、明らかに社会主義に対して重きを置いた発言をしている。

1992年のインタビューで「赤い豚って決めた時点で、どこに行きつくのか大体予想はしていた。どうして『さくらんぼの実る頃』を使ったかっていったら、パリ・コミューンがありましたから」と語っている。

ここだけを切り取ってしまうと、宮崎駿さんがものすごく片寄った人に感じられてしまうかもしれない。この記事の最後に参考文献を載せたので、詳細はそちらを読んで判断してほしい。

加藤登紀子さんというキャスティング。ご存知の方もいるかもしれないが、獄中結婚をされている。もうこのような人を選んだ時点で、宮崎駿さんの作品に対する意図を感じずにはいられない。

理想郷を描きたかったんだと思う。たぶん。そしてその社会主義的な理想と現実のはざまが描かれている。『紅の豚』ってそんな側面もある。

ポルコは戦友であるフェラーリンとも仲良くやっている。思想は違えど、決してフェラーリンの生き方を否定しない。

思想は思想であり、人間そのものじゃない。自由の立場につこうが、平等の立場につこうが、また別の立場につこうが、どっちでもいいじゃないか。

湾岸戦争の前の年には、冷戦が終わってソ連が崩壊している。

社会主義ってやっぱり上手くいかないよね。アメリカの、ようするに資本主義の勝ちかもしれないけれど、せめて映画の中だけは、理想としては誇り高い社会主義を語りたいよねっていう、資本主義に対するアンチテーゼでもある。

と思う。

まぁそりゃそうさ。湾岸戦争でそれこそ人をゴミのように殺しまくっている国の肩を持つわけにもいかないのが、大人の事情なのかもしれない。

だからといって、パリ・コミューンのような社会主義も理想論であり幻想であることも認めざるを得ない。そんなんどうすればいいのって、そうなるのが当たり前なんだ。

これが大人の世界。

子供には分からない。

だからこそ、この映画では、そんなものはどっちでもいいのだけれど、「人間に弾を当てることだけはやめようぜ」って、そんなことを強烈に主張しているように見えるんだ。

おかはずいぶん騒がしい

ブタに国も法律もねぇ

ポルコはひたすらに、「戦争じゃないから殺しはやらない」と話している。

『俺たちはな。戦争しているわけじゃないんぜ』

それに対して純粋な「子供」は質問する。

『戦争と賞金稼ぎとどう違うの?』

脳みそが豆腐のようにトロケチャッタ大人には、答えるのは難しいかもしれないけれど、戦争と賞金稼ぎはまったく別物に描かれている。

戦争には誰かが何となくつくった大義名分があって、正義と悪が人間によって強引に決められてしまう。勝てば官軍負ければ賊軍の世界。

賞金稼ぎってのは、そこに大局的かつ強制的な正義は存在しない。あくまでも個人の勝手であって、その正義感はあくまでも個人の持ち物。

悪いが俺は休暇だ」って休めるのが賞金稼ぎ。「悪いが最前列で竹槍を構えてくれ」と命令されるのが戦争だ。

『戦争で稼ぐのは悪党で、賞金稼ぎで稼げないのは能無し』なんだ。この答えはものすごく的を得ていると思う。戦争と賞金稼ぎでは、意志決定権の所在が全く違う

時には昔の話を

ローストポークに
なっちゃうから

加藤登紀子さんは、もともとシャンソンの歌手なんだって。僕は時代じゃないからよく知らなかった。

何冊か本を読ませてもらって知った、浅い知識だけれど、世界的にも有名な歌手らしい。獄中結婚っていう不思議な結婚をしている。お相手もその筋では有名な人のようだ。

読んだ本の中には、『紅の豚』に声役として出演することになりましたって、本当に1行だけしれっと書いてある。「カーネギーホール」で歌うことになりました。あ、そういえば『紅の豚』にも出ています。

こんな感じ。

ようするに加藤登紀子さんにとっては、この映画に声役として出演するっていうのは、加藤登紀子さんの人生観からしたら、それくらいの意味しか持たなかったのかなって感じるくらい、あっさりと書いてある。

加藤登紀子さんにとって、『紅の豚』に感じる世界観っていうものは、もしかしたら本当に「昔の話」っていう感覚なのかもしれない。

僕は『時には昔の話を』って曲もめっちゃ好きで、どんな背景で書かれた歌なのか知りたくて本を読んだんだけど、まぁあれだよね。

学生運動っていう今の時代には聞きなれない言葉が流行ったときの記憶とか。そういう話らしい。ゆれていた時代のとかさ。嵐のような毎日とかね。

『紅の豚』の冒頭ではラジオから「さくらんぼの実る頃」が流れてくるし、途中でジーナにふんする加藤登紀子がフランス語で「さくらんぼの実る頃」を歌うシーンもある。

めっちゃ好きだよ。ものすごくかっこいいと思う。

さくらんぼの実る頃

2日ほど無人島に

「さくらんぼの実る頃」っていうのは、パリ・コミューンが鎮圧されるときに流れた血のことを思って歌い継がれている曲だそうだ。

『紅の豚』に挿入さされている曲には、実はこんな秘密がある。まぁ、そういう曲を積極的に選んだと、宮崎駿さんもどこかのインタビューで回答している。

話は前後するけれど、エンドロールで「時には昔の話を」が流れる中で、フィオがピッコロ社を引き継いでそれからのことを少しだけ語っている。

よく考えてみると、時代背景的にはこれからこの物語の主人公達は、第二次世界大戦に巻き込まれていく。

そんなことを思いながら、「時には昔の話を」の歌詞を解釈すると、それはそれで悲しい気持ちになる。

国家の都合や、誰のものか分からない正義によって、戦争に巻き込まれてしまう、罪のない一般人の話につながるんだと思う。

倒産寸前の我が社に

男が1人もいねぇなぁ

アメリカ野郎をやっつけるために、ポルコは飛行機をよみがえらせる。ピッコロ社の現状に驚いて「男が1人もいねぇなぁ」ってセリフがあるんだけど、実はそこに、ただ1人の男がいるんだ。

ブタだけど。

ちなみに、ブタの年齢設定は36歳だ。ここに働き盛りのイイ男がいるんだよね。

だけど、誰もそれをとがめようとしない。これっておかしいでしょ。現実世界ならば?「お前もうちの旦那と同じように出稼ぎにいけよ!」「お前もうちの息子と同じように働けよ!」ってなると思う。

しかしながら、そうはならない。これがこの映画のおもしろいところでもあるし、考えさせらえるところでもある。

仕事でもそうだと思うけど、「どうして俺が残業しているのに、お前はさっさと帰るんだよっ!おかしいじゃないか!」ってなるときがある。

理不尽な感じ。

ねたみに近い。

もちろん。世界恐慌の時代と現在の残業地獄とでは、肩にかかっているものの重みが全然違うだろうけれど。

「もう大人なんだから自分のやりたいことくらい自分で決めろよ!しっかりと自分の人生を歩もうよ!」っていうメッセージが、この映画からは様々なシーンを通して伝わってくる。

ポルコは国の政策にすら流されないで、犯罪者扱いすらされても、もう俺は人間やめた!ブタでいいからやりたいようにやる!」ってなってる。

「俺はまだまだ人間やりたいからがんばる。イノチを国家にかけて戦う!」ってならないところが、「国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って」飛ぶとか飛ばないとか。そういう話につながってくる。

冒険飛行家の時代は終わったと、フェラーリンは話しているけれど、「いつまでもロマンを追いかけて生きていこうぜ!」っていうメッセージが伝わってくる。

よく考えてみると、現代社会だったらフェラーリンはどう考えても『勝ち組』だと思うし、ブタはどう考えても『負け組』だよね。

みんなそろそろ社畜をやめて、ブタにならんかね?

カッコいい大人

このあたりは
スッカラカンなのさ

この映画の中で、ポルコは周りの人にものすごく愛されている。まぁそりゃーそうだよね。だってつぶれそうな工場におカネを落としたり、空賊から子供を助けたりしているわけだから。

飛行機ってのは、1人の人間の力で飛ばすことはできないものだ。ボルト1本ゆるんでたって駄目だし、整備する人に助けられ、ガソリンを売る人にも助けられる。

多くの人の支えがあって、はじめて飛行機として飛べるものになる。だからこそ、「海も陸も見かけはいいけれど、中身はスッカラカンなのさ」っていうその言葉の重みにグッとくる。

それと同時に、自分だけは戦争で死なずに助かってしまったけれど、今の自分があるのは一緒に戦って死んでいった友人のおかげなんだっていう、そんな暗示も込められている。

いいやつは
みんな死ぬ

この言葉が持つエッセンスが、『紅の豚』の中のいろいろなところにちりばめられている。

深い言葉だ。

ブッダに教えを説く

最後まで読んだ人。お疲れ様でした。僕は『紅の豚』が好きで、テレビの再放送では飽き足らず、DVDも買って結構何回も見た。

見れば見るほどに、なんでそうなるの?っていうよく分からないシーンが増えていく。

この映画、冒頭でもお話したとおり、なんでか激しくドンパチやってるけれど、1滴の血も流れない。

しかも、まるでお遊戯会のように楽しそうにドンパチやってる。それってなんだかチグハグでおかしくないかい。

そんな思いもあって、ちょこちょこ図書館に足を運んでは、この映画が造られた時代背景とか、込められた思いとか、そういうものを調べるようになった。

『紅の豚』と『魔女の宅急便』は、宮崎駿さんの映画監督人生の中でも転換期となった作品として評価されている。

『となりのトトロ』とか『風の谷のナウシカ』とか『天空の城ラピュタ』とか、そういう名作を作っちゃって、次は自分のために映画を作っちゃったっていう作品だそうだ。

特に『紅の豚』では、はじめて「自分」について、宮崎駿さん自身について語ろうとしたらしい。

だけど、その自分っていうのは醜(みにく)い俗人であって、意地汚い大人であって、ただの「ブタ」だった。

一見かっこいいように見える主人公のポルコだって、見方を変えればやっていることは空賊と一緒だし、地位もなければ名誉もない。

ただの貧乏で醜い独り身のおっさんにすぎない。

かっこいいとはこういうことさ』っていうのも『飛ばない豚はただの豚さ』っていうのも、宮崎駿さんの自虐ネタにしか聞こえない。

ようにも感じる。

「飛べない」のか「飛ばない」のかで議論になることもあるらしいけれど、そもそもブタは飛べなくて当たり前だから、「飛ばない」がただの豚。

そんなわけで、次にジブリ祭り的なテレビ放送がいつ行われるのかはさっぱり分からないけれど、『紅の豚』が放送されるときには、こんなウンチクを思い出しながら見ると、ブタの気持ちにほんの少しだけ近づけるかもしれない。

まるで漸近線のようにね。

カッコいいとは
こういうことさ

所詮はアニメ。所詮は娯楽かもしれないけれど、その作品が造られた時代背景や、監督の心の葛藤などを、少しでも考察しながら作品に触れることで、間違いなく教養になる。

ただ単純に面白いで終わってもいいんだけれど、その続きというか教養の矛先がしっかりと用意されているところが、スタジオジブリの作品が愛され続ける理由だと思う。

教養のない大人にはそれなりに。教養のある大人にはめちゃくちゃにおもしろい。というか、自らの成長にあわせて、段々と違った解釈ができるようになるところが、ジブリ作品の面白いところ。

テレビでときたま放送されるのを見るのもいいけれど、メディアとして持っていて「ぼちぼち本気出しますか!」ってときに見ると、それはそれで心地よい余韻にひたることができる。

Amazon.co.jpのカスタマーレビューもそういう目線でみると興味深い(新しいウィンドウで開きます)。

見た映画はこれ

このDVDは旧作?となるようで新しいパッケージが用意されている。しかし、フランス語の音声が入力されているのはこのパッケージのDVDまでとなる。なんでかって?フランス語の音声がめっちゃイイ感じなんだな。

※・※・※

※参考文献
ジブリの森へ
宮崎駿論
謎解き!宮崎・ジブリアニメ
青い月のバラード

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