散歩の効果と科学的な根拠の有無

散歩の効果と科学的な根拠の有無

散歩の効果と科学的な根拠の有無

散歩の効果と科学的な根拠の有無
『 再現性の有無 』

(最初に断っておくが)この記事には結論がないし、信頼性もない。ようするに言いたいことに自信もなければ絶対的な根拠もない。タブーに切り込んでいる感がある。

パニック障害やうつ病など精神的な疾患を抱えた人に対して、『 歩くこと(散歩) 』は、どのような効果をもたらすのだろうか。ちまたでは、「 ウォーキング健康法 」みたいなタイトルの本もちらほらと見かけるが、果たして科学的な根拠はあるのだろうか。

ところで、「 科学的 」とは、どのような意味だろう。科学的とは、再現性が確からしいこと、誰がやっても同じ結果になるということである(ということにしておく)。スプーン曲げは、誰がやっても同じ結果にはならない、すなわち科学的ではない。

「 科学的 」とは、どういう意味だろうか。に関しては、森博嗣さんの著書『 科学的とはどういう意味か 』が読みやすいし、納得感も得られやすい(と思う)。

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さて、散歩の効果に再現性は見込めるのだろうか。残念ながら、答えはノーだと思う。

もしも、散歩すること(すなわち歩くこと)で、少なからずの多くの人に共通する効果を得ることができるとするのならば(再現性があれば)、薬の処方のように、『 1日3回、朝昼晩と食後に毎時XXカロリー以上を消費する二足歩行運動を行ってください 』のような処方が、お医者様からあってもおかしくはない(言い過ぎかも)。

20人の集団があり、10人ずつAとBのグループに分ける。Aのグループは1日30分の散歩を、Bのグループは何もしない状態で、過ごす。そして、AとBの2つのグループに足し算の問題を解かせると、Aの散歩グループの方が得点の平均が高い。

上に書いたものは「でたらめ」な例え話だけど、散歩に対するこの程度の実験結果ならばいくつかの文献で見つけることができたことは確かである。だけど、それを持って「 科学的 」と言えるのかどうか、僕は疑問である。

なぜここまで、僕が「 再現性 」を求めるのかというと、真剣に自分の症状を改善したかったからである。科学的に意味がない行為に時間をかけたくなかったし、治っていくことに対して誤った理解と認識を持ちたくなかったからでもある。

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散歩の効果と科学的な根拠の有無

散歩の効果と科学的な根拠の有無

散歩の効果と科学的な根拠の有無
『 理由は分からないけれど 』

歩くことで、パニック障害の症状がおさまっていったことや、息苦しさの症状が軽減したことに対して、科学的な根拠は見つからない(ように思える)。もちろん、散歩することを推奨する書籍は多く見つかるが、「なぜ?」に関して納得感がある(科学的な)説明が記されている文献には、今のところ出会えていない。

あくまでも、散歩の「効果」は実験によって「実証」されているだけである。ということは、ある人には効く場合もあるし、ある人には効かない場合もあるということなのだろう。なんとも怪しいし、確実ではない。

そして、このことを、『 非科学的 』と割り切ってしまってよいのかどうか、自分には判断ができない。それこそが、一番の問題であって、この記事の論理が空中浮遊している大きな理由となっている。困ったちゃんなのだ。

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いずれにせよ、自分にとって歩くこと(散歩)は、症状を改善させる過程において、大きな役割を果たしたと考えている。であるが、まったく歩かずに、家でジッとしていた方が治りが早かったのかもしれないし、それは今となっては確かめようがない。

はたまた、「 歩く 」ことが重要だったのではなくて、「 歩く 」ことによって気分を『 リフレッシュ 』させることが重要だったのかもしれない。だったら、歩くだけじゃなくて、映画を見るとか、漫画を読むとか、もっともっと別の効率的な方法もあったのかもしれない。「 歩く 」以外の方法が最適解だった可能性もあるわけだ。

実のところ、「 歩く 」以外の方法として、漫画を読むこと(など、他にもある)によって、歩いたときと同じような爽快感と現実逃避を味わうことができることに、途中で気がついている(あくまでも僕の場合は、ね)。

ということは。

パニック障害の症状から脱出するためには、なんらかの方法によって気分を『 リフレッシュ 』させること、一種の現実逃避に近い状態を定常的に作り上げることが大事なのではないか?その為の手段の1つが「 歩く 」という行為にすぎなかったのでは?

このように考えだすと、パニック障害は、薬などに頼ることなどなく、気持ちの入れ替えだけで何とかなってしまう精神疾患のように思えてしまう。が、もちろんそんなことはなく、それならばとっくの昔にこの症状とはオサラバしているはずなのである。

はて、何が言いたいのかというと(声を小さくしてささやくならば)、散歩以外にも、リフレッシュできて、脳に対して何らかの快楽を与えることができる動作や作業があるのならば、それもいいよねって。そういうことだと思う。

1つのことを絶対だと考えがちな思考パターン(ステレオタイプ)というやつは、ときとして、わずらわしいく感じてしまうものである。そしてなにより、「 科学的 」という言葉が、自分の中で独り歩きした感が否めない。