のるまで るこう

み み

暑い夏の季節がやってきますな今日この頃

写真の構図に基本もテクニックもルールもない


写真の良し悪しは構図で決まるものなのだろうか。それが正しいとするのならば、写真の構図における基本やルールやテクニックとは、一体何を意味するのだろうか。写真の構図におけるセンスは磨けるものなのだろうか。「構図が良くないねぇ」とおじ様達に言われ続けて感じたことがあった。

夜の湘南大橋
[ Located in : 湘南大橋と満月 2017年1月 ]
[ Camera : PENTAX K-5ii ]
[ Lens : PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mmF3.5-5.6AL WR ]

写真の構図

写真クラブに入っていたことがあった。写真を撮って、集まりに持っていくと、おじ様達に、毎回決まって言われるひと言があった。

「構図が良くないねぇ」

「いいねー」とお褒めの言葉をいただくか、「これどこで撮ったの?」と問われるか、「構図が良くないねえ」と言われるか、「余計なものが写っているね」と言われるかの4択クイズ状態であった。

きちんと数えたわけではないが、割合として、「いいねー」が10%。「これでどこで撮ったの?」が20%。「余計なものが写っているね」が30%。「構図が良くないねぇ」が40%。こんな感じ。構図はおじ様達にとってとても大切なものらしい。もしくは、僕が撮る写真の構図がよっぽど特徴的らしい。

写真の印象の9割は構図によって決まる。とおじ様達が思っていたのかどうかは定かではないが、少なくとも2枚に1枚程度の確率で、構図に対して疑問を持たれたことは事実であった。

構図の基本

構図の定義

構図とは、写真の中に写し込むモノ達の、色の配分であったり、コントラストの配分であったり、垂直水平方向からの傾きの配分であったりすることが多い。

「となりに写るもの」との差が明確であって、その境目になるラインを、写真の中のどの位置に配分するのかが、おじ様達と会話をする中で感じた写真の構図に対する考え方の定義であった。

色や明るさの「境目」を写真の中のどの位置に配置するのか。構図という言葉が意味することは、凡(おおよ)そこういったことなのだろう。

ふむ。

3分割構図の勉強

「均等に2分割構図にしてしまうと写真がつまらなくなる」と、よく言われた。それでもどうしても均等に2分割したい場合には、「どこかにアンバランスを組み込みなさい」と、付け加えられた。さらに、「どうせならば均等に3分割構図にしなさい」と続いた。

均等2分割構図
[ Located in : 均等2分割構図と港 2017年1月 ]
[ Camera : PENTAX K-5ii ]
[ Lens : PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mmF3.5-5.6AL WR ]

均等に2分割に構図を構えてみた。


均等2分割構図にアンバランスを組み込む
[ Located in : 均等2分割構図とアンバランス 2017年1月 ]
[ Camera : PENTAX K-5ii ]
[ Lens : PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mmF3.5-5.6AL WR ]

斜めに構えることでアンバランスを組み込んだ。組み込んだけれど。どう?

口を酸っぱくして2分割はつまらないと言われ続けたこともあって、僕の中には2分割構図に対する偏(かたよ)った価値観が生まれつつある。もうしばらく均等に2分割構図にした写真は撮っていない。

3分割構図
[ Located in : 3分割構図と浮かぶ雲 2017年1月 ]
[ Camera : PENTAX K-5ii ]
[ Lens : PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mmF3.5-5.6AL WR ]

そしてこれが今の僕の感性になっている。感性とはセンスとも呼ばれるものかもしれないが、少なくとも僕の感性は、一時期のおじ様達との写真談義の影響を受けていることに、異論はない。作り上げられたと言っても過言ではない。僕の感性は作られたものだ。感性が作られたものだとするのならば、そして感性=センスと呼ぶのならば、センスは作ることができるものと考えることができる。

あれ?センスは神様の贈り物では無かったのか。どうやら違うらしい。

それが本当かどうかは置いておいて、パッと写真を見たときの感じ方や受け取り方というものは、その人の感性によって決定されるものとなることは、一般論だと思う。

構図とセンス

僕は今、新しい感性を写真に取りこみたい。取りこんで撮りこみたい。誰かあの一時期のおじ様達のように、「あーでもない」、「こーでもない」と、僕にとっての新たな価値観でモノを言ってくれる人たちはいないものだろうか。

巷(ちまた)には、構図に対するルールブックのようなものがありふれている。きっと、これらの本を読んだ人は、これらの本に書いてあるような感性の持主になっていくのだろうと思う。少なくとも、何かしらの影響は受けるはずだ。もともと持っていた感性に、本の中の感性が足し合わされるのだ。



「君、服装のセンス無いよね」気にする人にとってはグサッとくるひと言だ。なぜだ。センスは生まれ持ったものであって、センスを否定されるとまるで自分自身そのものの変えられない部分を批判されたように感じてしまうからだ。

そうじゃない。センスとは、生まれてから経験したコトやモノによって作り上げるものだ。積み上げるものだ。

「構図が良くないね」=「写真のセンス無いね」と、勘違いしてとらえ続けて、今になって分かったことがある。センスが無いわけではない。僕は、おじ様達のセンスを知らなかっただけだ。世間一般の写真評論家達のセンスを知らなかっただけであって、知らなかったからそういう風に撮れなかっただけだ。


おまけ

センスや感性は磨くものだ。生まれ持ったものではない。

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